日本政治を占う No.4「日本の経済成長を阻む新自由主義」

長期低迷から抜け出せない日本経済

バブルがはじけて30年以上が経ちますが、日本経済の復活の兆しは一向に見えてきません。
なぜかといえば、日本の経済政策はその有効性が合理的に判断されたものではなく、政治的イデオロギーや政官業の利権により決定されているからです。
特に大きな影響を及ぼしているのが「新自由主義」というイデオロギーです。

新自由主義とは

資本主義社会では、1930年代のニューディール政策以降、ケインズ経済の理論に基づいた「大きな政府」を志向するリベラリズムが台頭しました。
それによって社会福祉や公共事業が活発に行われました。
しかし1970年代以降、インフレと不況が同時に起こるスタグフレーションに対処できず、ケインズ経済学の影響力は低下しました。
これに代わって台頭したのが新自由主義です。
新自由主義の特徴は、小さな政府です。
自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系です。
新自由主義は、ケインズ経済学を退けて市場競争を重視する新古典派を強く支持しました。

アベノミクスの検証

アベノミクスでは3本の矢が掲げられました。
3本の矢とは、①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略です。
これらの経済政策には、新自由主義のイデオロギーが大きく影響を及ぼしました。
新自由主義は、①金融政策を推進し、②財政政策を否定し、③成長戦略として規制緩和を推進します。

 

金融緩和を巡る新自由主義VS日銀

第一の矢である異次元の金融緩和とは、中央銀行が世の中に出回るお金の量を増やし、人々のインフレ期待を高めることでデフレ脱却を図ろうとするものです。
金融緩和により、物価上昇が可能となるのは、「貨幣数量説」という考え方がベースとなっています。
アメリカの経済学者アーヴィング・フィッシャーは、「貨幣供給量×流通速度=物価×実質GDP」というフィッシャーの交換方程式を提唱し、流通速度と実質GDPが一定の場合、貨幣供給量を増やせば物価は上昇すると説明しました。
しかし現実には貨幣供給量を増やしても、貨幣が滞留し流通速度は減少するため、物価上昇にはつながらないという指摘もあります。
そこでフィッシャーは、貨幣供給量の増大がたとえ今すぐに物価を上げる効果を持たなくても、インフレ期待が持続的に醸成されていけば、期待インフレ率の上昇を通じて実質金利を下げる効果が得られ、経済活動を活性化できると主張し、金利と物価の関係を次のように表しました。
「実質金利=名目金利-期待インフレ率」
この式から名目金利が一定であれば、期待インフレ率を高めることによって実質金利を下げることができます。
実質金利が下がることで、個人の消費や企業の設備投資などが促進されるため、資金需要が増え、貨幣供給量が増え、物価上昇につながるという理屈です。

新自由主義は政府の介入を極力排除するものですから、本来なら金融政策も否定しそうなものですが、現在では受け入れているようです。
新古典派の代表的なフリードリヒ・ハイエクは、デフレを問題視せず、金融緩和に否定的な立場だったといわれていますが、同じく新古典派のミルトン・フリードマンは、大恐慌は通貨供給量が不足したことが原因だったと分析しました。
フリードマンは市場を重視し、政府の役割は通貨供給量の調整に限定すべきというマネタリズムの考えを主張しました。
フリードマンの主張は当初異端と見られていましたが、1980年代頃から主要国の中央銀行ではフリードマンらマネタリストが主張するインフレターゲットが取り入れられるようになりました。
一方、この頃の日本にはマネタリズムと相反する考え方がありました。
それは「日銀理論」です。
バブル崩壊後、日銀は金利を引き下げ続けました。
1991年に公定歩合で6%あった金利は、1995年にはそれまでの公定歩合と代わって新たな短期金利の指標となった無担保コールレートで0.5%まで下がりました。
1999年2月には、短期金利を過去最低の0.15 %に誘導する、いわゆる「ゼロ金利政策」を決定しました。
フリードマンはこのような名目利子率を引き下げて、貨幣供給量を増やさない日銀の政策を批判しました。
日本にも岩田規久男のように、当初からマネタリーベースを増やすことを主張していた専門家もいます。
日銀が初めて量的緩和策をとったのは2001年になってからでした。(~2006年)
しかしマネタリストから見れば、日銀の量的緩和は不十分だったようです。
こうした日銀の方針は、第二次安倍政権下で大きく転換することになります。
安倍政権下2013年3月に日銀総裁に就任した黒田東彦は、異次元の金融緩和により2年間で年率2%の物価上昇を目指し、デフレを脱却すると宣言しました。日銀理論からマネタリズムへの転換でした。
果たしてこの金融緩和は効果を上げることができたのでしょうか。

黒田総裁の就任から9年が経ちますが、消費者物価指数(CPI)のうち、すべての対象商品によって算出される「総合指数」から生鮮食品を除いて計算された指数であるコアCPIは2014年に2.6%だったのを除いて、いずれも2%を下回っています。
また2014年の物価上昇は消費税引き上げの影響という見方が大半です。
物価上昇については達成されていません。
日銀はマネタリーベース(日銀が供給する資金量)を増やすことで、市場へ出回る資金量を増やそうとしました。
安倍政権成立時の2012年12月132兆円だったマネタリーベースは、首相退任時の2020年9月には587兆円まで増えています。
一方マネーストック(金融機関全体から経済全体に供給されている通貨の総量)のM2は、828兆円から1171兆円に増えていますが、民間金融のバランスシートにおいて負債にあたる預金の増加分は、資産をみると預け金と同等であり、日銀当座預金の増加とみなせます。
実質的に市場には供給されていません。
少なくともマネタリストが言うような、信用創造によりマネタリーベースの何倍にも増えることはありませんでした。
市場に供給されないお金が増えたところで人々のインフレ期待も高まるはずがありません。

貨幣供給量を決定するのは中央銀行であるというこの考え方を外生的貨幣供給論といいますが、これは金との兌換が保証されている金貨幣本位制や固定相場制のような制度で成り立つものです。
貨幣供給量は金の量に制約されるので、政府や中央銀行が貨幣供給量を決めるという考えは必然的なのです。
しかし現代のように不換紙幣で変動相場制の場合、貨幣供給に制約はありません。
現代の貨幣とは現金通貨と銀行預金です。
現金通貨を生むのは政府や中央銀行ですが、預金を生むのは銀行です。
貨幣の大半は預金であることからすれば、貨幣を生むのは銀行だということになります。
銀行は貸出を通じて貨幣を生み出すことができますが、資金需要が無ければ生み出すことはしません。
資金需要を起こすことができるのは民間か政府のどちらになりますから、民間に資金需要がなければ政府が需要を起こす以外方法はありません。つまり財政出動しかないのです。
しかし後に述べるように、財政出動に対しては多くの人がそれを阻止しようとして非常に強い抑制作用が働いています。
一方金融緩和に反対していたのは日銀と一部の専門家くらいでそれほど多くはありませんでした。
日銀が方針を転換したのは、先に述べた通りです。
これで安倍元首相が放つ第一の矢を阻む者はいなくなりました。
さらに新自由主義が金融緩和を認めていたことも追い風になりました。
新自由主義がそれを許した訳は、うがった見方をすれば、金融緩和の効果は期待できないことを初めから分かっていたからではないでしょうか。つまり政府や中央銀行の介入は限定的であることを知っていたからです。
それでいて新自由主義が最も嫌う財政政策を否定するフリードマンの主張は、小さな政府を実現するために実に都合のいいものでした。

アベノミクスとは、金融緩和だけを大いに実行した「一本の矢」だったと言っても過言ではありません。

 

財政健全化と新自由主義の相乗作用

安倍元首相は、第二の矢として「機動的な財政政策」を掲げましたが不発に終わりました。
そもそも、はじめから期待することはできなかったのです。
第一の矢が「大胆な金融政策」という量的なものであるのに対して、第二の矢は「機動的な財政政策」といって、その言葉が示しているように量的な政策ではありませんでした。
財政政策の規模が極めて小さなものとなることはこの時点ですでに明らかだったのです。
日本経済の病理は長期にわたるデフレであり、デフレとはモノの価値に対してお金の価値が相対的に高くなっている状態です。
したがってお金の量を増やせば、物価は相対的に高くなります。これは誰にでもわかる理屈ですが、問題はお金の量を増やす手段が金融政策だと勘違いしていることです。
先に述べたように金融政策としての量的緩和は、日銀の当座預金を増やすだけで、市場に出回るお金は増えません。
実際にお金を増やすことができるのは、預金を生み出すことができる民間の銀行であり、民間銀行が預金を生むためには、民間か政府に需要がなければいけません。
しかしデフレが長期化している中、民間の需要が増えないのは当然のことでしょう。
それなら政府が財政出動するより他ありません。
お金を増やすことができるのは金融政策ではなく財政政策ということです。
しかし「財政健全化」と「新自由主義」というイデオロギーがこれを阻害しています。
歴史をさかのぼると、財政健全化には政治的イデオロギーが影響を及ぼしていることがわかります。
西南戦争や太平洋戦争で軍事費が増大し激しいインフレを引き起こしたことが、反戦イデオロギーと合わさって戦後の財政健全化イデオロギーが形成されました。
国債発行は軍事費の増大につながるという非現実的な主張が展開されるようになりました。
このような時代背景もあってのことか、戦後日本では財政法第4条により建設国債以外の国債発行は原則として禁止されています。
これに1980年代に広まった小さな政府を目指す新自由主義の思想が加わり、財政健全化は強固な思想となりました。
一方で、財政健全化の指標となる基礎的財政収支の均衡は実現しませんでした。
それは自民党を中心とした日本の政治システムでは、慣習的な財政支出を削減することが容易ではなかったからです。
「財政健全化」という理想と「財政赤字拡大」という現実とのギャップから、景気対策として積極的な財政出動はさらなる財政赤字の拡大につながるとして実施することができませんでした。
日本経済が長期にわたり低迷している理由は、十分な景気対策をしなかったことです。

戦後の日本は、経済成長と共に税収は増え続け基礎的財政収支は黒字で推移しました。
しかし「昭和40年不況」とよばれる1965年、山一證券が破綻の危機に見舞われるなど、金融恐慌寸前とまでいわれる不況に陥りました。
佐藤内閣下で大蔵大臣に就任した福田赳夫は特例公債法を制定させて、戦後初めての赤字国債を発行しました。
一旦は景気を回復しましたが、1973年の石油危機により再び悪化しました。
1975年に10年ぶりに赤字国債が発行されると、それ以降は恒常的に発行されるようになります。
赤字国債の発行は当初から問題視されていたため、その穴埋めとして1979年に大平内閣において一般消費税の導入が検討されました。
しかし党内の反対により撤回を余儀なくされました。
このときの大蔵大臣は後に首相として消費税の導入を実現する竹下登でした。
鈴木政権では、大平政権での反省から、1981年に第二次行政改革調査会を発足させ増税なき財政再建を目指しました。
このとき、予算の概算要求から伸び率を前年度以下とする「ゼロ・シーリング」が導入されました。
中曽根内閣もこれを継承し、歳出抑制を目指しました。
しかし歳出抑制だけでゼロ・シーリングを実現することはできず、増税なき財政再建は絶望的となりました。
1987年、中曽根内閣は税率5%の売上税法案を提出するも廃案となりました。
このとき売上税導入を支持していたのも竹下だといわれています。
竹下は中曽根の後継として指名され首相になり、1989年4月、念願の消費税が導入されました。
所得税・法人税の減税と抱き合わせでしたが、国民の反対デモが全国に広がりました。
竹下政権に続く宇野政権は短命に終わり、次の海部政権では竹下派会長金丸信の推薦で幹事長となった小沢一郎が権力を掌握しました。
小沢は湾岸戦争への資金援助が必要と考えていたところ、大蔵省主計局長の斉藤次郎が石油税と法人税の臨時増税により賄うことを提案し小沢を支援しました。
斎藤は次の宮澤政権でも、国際貢献税を提唱するなどして小沢との関係を密にしました。
このころはバブル崩壊の直後でしたが、当時はまだ誰もバブルの崩壊に気がついていませんでした。
いち早く気づいた宮澤は、金融機関への公的資金の投入の必要性を主張しましたが、いずれ景気は回復するであろうという楽観論が支配していたためか、公的資金投入はされませんでした。
それでも宮澤は1992年8月に10.7兆円、1993年4月に13.2兆円の経済対策を実施しました。
その後宮澤内閣は、野党の内閣不信任案に小沢率いる羽田派が同調し自民党が分裂したことにより終焉しました。
1994年、非連立政権の細川内閣が誕生しましたが事実上の権力者は小沢でした。
また斎藤は大蔵省事務次官に就任し、ここでも小沢と協調しました。
斎藤は消費税の増税を目指しました。
細川は、斎藤の進言により税率7%の国民福祉税構想を発表しましたが、連立政権内の武村、村山などから反対の声が上がり、すぐに白紙撤回しました。
また外交面では、当時はアメリカの対日貿易赤字を減らすために、日米構造協議で内需拡大を求められていた最中で、消費税の引上げは財政出動の効果を減らすとしてアメリカからも牽制されていました。
背景として、日本の経済成長は保護主義による異質なものだという「日本特殊論」がありました。
細川は国民福祉税の頓挫により求心力を失い、佐川急便からの政治資金借入疑惑も追及される中で辞任を表明しました。
1994年11月、村山内閣において税制改革法が成立し、5%への引上げが決定しました。
このとき消費税引上げを推進したのは、国民福祉税に反対していた武村でした。
このときも減税が一体で行われました。

このように1980年代から1990年代前半は、税(収入)と予算(支出)は、双方において大きな増減はありませんでした。
収入面においては、増税なき財政再建が失敗と見なされたため消費税の導入が課題となりました。しかし消費税導入は政権転覆にもつながるため、容易なことではありませんでした。
そのため消費税導入時も5%への引き上げ時も所得税減税等と併せて行われました。
支出面においては、財政健全化の縛りから景気対策としての大規模な財政出動ができなかった一方で、利権が絡んだ既存の予算を削減することも困難でした。
しかしこれ以降は、財政健全化の圧力が強まっていきます。
新自由主義が広まったことが大きな要因とだいえます。
この時代、リクルート疑惑や佐川急便疑惑などにより政治不信が高まっていたので、小さな政府を目指す新自由主義は、政府の権力を抑制して政治不信を払拭してくれるだろうという期待もあったのでしょう。

1995年11月、村山内閣で大蔵大臣に就任した武村は、日本の財政状況は先進国中最悪であるとして「財政危機宣言」を発し財政危機を煽りました。
1997年4月、橋本政権下において予定通りに消費税は5%に引き上げられました。
同年11月、橋本内閣は財政構造改革法を制定し、財政健全化のため2003年度までに赤字国債の発行をゼロにするという目標が掲げられました。
しかし金融危機を受けて、赤字国債の発行規制は一時停止されました。
さらに同年12月小渕政権において凍結されました。
小渕は積極的な財政出動を実施しました。
しかし積極財政はこのときに限られ、次の森政権以降再び緊縮財政に戻りました。
2001年の小泉政権下において基礎的財政収支均衡政策取り入れられました。
すなわち財政支出は税収の範囲内で行うというものです。

このころの日本経済は長期低迷にあり、日本特殊論は言われなくなっていました。
アメリカからは年次改革要望書がつきつけられていましたが、内需拡大圧力は無くなっていたので、緊縮財政政策はとりやすくなっていました。
小泉は消費税の引上げはしないと断言していたので、緊縮財政まっしぐらでした。
これによって国債発行額は、2004年度をピークに減少していきました。
小泉の後を継いだ第一次安倍政権も、緊縮財政政策を引継ぎました。
2008年民主党に政権が移りましたが、事業仕分けに象徴されるように緊縮路線は継続しました。
しかしそれよりももっと罪深いことは、消費税の引上げです。第二次安倍政権で実施された2度にわたる消費税の引上げは、民主党政権時に決まったものでした。
鳩山は、衆院議員の任期である4年間は消費税を上げないと公約に掲げ政権を獲得しました。
しかし2012年、野田政権は民主、自民、公明の3党合意により消費税増税を含む社会保障・税一体改革法案を成立させました。
自民党に政権が戻ると、2014年度には新規国債発行額は6年ぶりに40兆円以下に抑えられました。
しかし、2020年度は新型コロナウイルス対策のため100兆円を超えました。
これは景気対策ではない消極的な財政出動ではありましたが、過去にない桁違いの予算となりました。
しかし財政は未だ破綻していません。財政破綻論が虚構だったことを示しています。
景気対策としてこのくらい、あるいはもっと大規模な財政出動をしていれば、日本経済は疾うに回復していたでしょう。
しかし歴史を振り返れば、それが極めて困難だったことが分かります。
それは財政健全化と新自由主義というイデオロギーが日本全体を支配していたからにほかなりません。

 

デフレを助長する成長戦略

「成長戦略」とはもともとは経営学の用語でした。
第一次石油危機以降、先進諸国はインフレに陥り成長率が鈍化すると、ケインズ経済学的な財政出動では限界があり、民間主導の戦略が必要と考えられるようになりました。
そこで国家レベルでいう「成長戦略」が使われるようになりました。
1980年代の民営化と規制緩和を柱とした「サッチャリズム」や減税と規制緩和を柱とした「レーガノミクス」が該当します。
これらの政策は、供給側を強化する「サプライサイド政策」といわれるものでした。
インフレはお金の価値よりもモノの価値の方が高い状態であり、つまりモノが不足している状態です。
であれば生産力を高めることが、有効な政策となります。
日本では、中曽根政権下で日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の3公社が民営化されました。
しかし当時の日本が抱えていた問題はアメリカやイギリスとは異なるものでした。
日本は第二次オイルショックを比較的小さな影響で乗り切っていました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほど、経済は好調とみなされていました。
日本国内では、財政赤字が問題とされていました。
赤字国債を発行し続ける中、当初は増税なき財政再建を目指していましたが失敗に終わりました。
増税は避けられないと考えた一方で、政権が転覆するリスクもあり実際には困難でした。
そこで一般消費税を将来の福祉の財源という名目で取り入れ、その代わりとして行政改革を断行するとことで、増税が国民に受け入れられるというシナリオを書きました。
政治家側から見ると、改革は思った通りに進まなかったのかも知れませんが、「改革」という言葉が盛んに使われるようになるなど、国民にその必要性が浸透したという点において一定の成果をあげたといえるのではないでしょうか。
改革をさらに加速させようとしたのが小泉政権でした。
小泉は竹中平蔵を経済財政政策担当大臣、IT担当大臣、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣などに歴任させて、次々と規制緩和を進めました。
しかし小泉政権が誕生した2001年は、すでにデフレに入っていました。
需要がない状況で、規制緩和をして供給力を上げても、ますますモノが余ってしまい、デフレから抜け出せなくなってしまいます。
安倍政権も小泉政権を継承する立場でした。当然デフレは解消していません。
2013年6月14日に「日本再興戦略」が閣議決定されました。
その中で成長戦略の役割について次のように述べています。
「・・・第三の矢としての成長戦略が果たすべき役割は、明確である。それは企業経営者の、そして国民一人ひとりの自信を回復し、「期待」を「行動」へと変えていくことである。」
日本は長いデフレによって、企業も国民も自信を無くし、将来への希望が無くなっていることにより、投資や消費が抑制されているというのです。
しかしこのような自信を無くしたマインドが安倍政権発足後わずか半年で改善したといいます。
「安倍政権が発足して半年に満たないが、デフレマインドを一掃するための大胆な金融政策という第一の矢、そして湿った経済を発火させるための機動的な財政政策という第二の矢を放つと同時に、TPP への交渉参加、電力システム改革、待機児童解消策など、必要性は言われながらも棚上げとなっていた課題についても決断し、実行に着手するまでに至っている。その結果、消費と企業業績の回復傾向という形を通じて、国民の間に、そして国際社会の間でも、日本経済の先行きに対する「期待」の灯がともるまでになった。」
そして2年後の成長戦略は新たな展開を迎えたとしています。
2015年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略」改訂2015では次のように述べています。
「企業収益は過去最高を記録し、その収益が2年連続で賃上げに振り向けられ、凍り付いていた消費もようやく持ち直しの兆しを見せ始めている。失業率は3%台前半まで低下し、有効求人倍率も 23 年ぶりの高水準に達し、雇用者数が 100 万人も増加した。今後、労働需給はさらにタイト化し、GDP ギャップが急速に縮小するとともに、デフレからの脱却が実現していくことが予想される。経済の好循環は着実に回り始めているのである」
「アベノミクスは、デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきたステージから、人口減少下における供給制約の軛くびきを乗り越えるための腰を据えた対策を講ずる新たな「第二ステージ」に入ったのである。今後とも経済の好循環を維持し、そして持続的な成長路線を辿っていけるかどうかは、従来の単なる延長ではない、全く新しい発想をもって、錆びた資本ストックを革新し、より自由な発想が生かされる競争環境下で最も効率的かつ効果的な投資が行われることを通じて、個人一人一人が、そして地方の一つ一つがその潜在力を開花する「生産性革命」を成し遂げられるかどうかにかかっている」
このようにまだデフレから脱却していないにもかかわらず、第二ステージに入ったとして供給制約を乗り越え、生産革命を実現するといっています。その後も成長戦略の実体は生産性革命でした。
アベノミクスの第三の矢とは、デフレでモノが余っているところに、さらにモノを増やそうとするものだったのです。

 

日本経済の行方は

繰り返しますが、日本の経済政策は新自由主義というイデオロギー、財政健全化という固定観念、政官業の利権、アメリカの圧力など様々な力の相互作用によって決定されてきました。
中でも新自由主義は極めて強い影響を及ぼしました。
新自由主義とは小さな政府を目指すものですから、肥大した国家機構をスリムにするためには必要とされることもあるでしょう。
問題は今の政府が大きかろうが小さかろうが、新自由主義は絶対的に正しいと思考停止に陥ることです。
日本は、GDPに対する財政支出の比率から見ても小さな政府でした。
にもかかわらず、さらに小さくすることで国家による経済への介入はできなくなりました。
その結果、弱肉強食の社会となり格差が広がりました。
新自由主義というイデオロギーから抜け出さない限り、日本経済の復活はありません。

 

参考文献
柿埜真吾(2019)『ミルトン・フリードマンの日本経済論』(PHP新書)
清水真人(2015)『財務省と政治』(中公新書)
菊池英博(2015)『新自由主義の自滅』(文春新書)
中野明(2015)『戦後日本の首相』(祥伝社)
中野剛志(2019)『奇跡の経済教室【基礎知識編】』(KKベストセラーズ)
中野剛志(2019)『奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)
日本銀行ホームページ